呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

高橋洋 の検索結果:

宇宙戦争

…束として無意味であり、かくなるうえは科学に希望を託すしかないという風に進むかと思いきやあっさり暴徒に道を阻まれ、最後は宗教的なラストを迎える。一応、スピルバーグ版もこれもウェルズの原作通りのラストだけど、受ける印象はだいぶ違う。 スピルバーグ版と違って、全体の俯瞰図が示されるところといい、なんとなくだが『インデペンデンス・デイ』に受け継がれた要素が多いように見える。高橋洋はスピルバーグ版を「9.11以降のもっともらしさに依拠しただけ」と批判し、本作の怪光線を擁護するのだが……

ウィッチ

…れた。 この感覚は、高橋洋の言う「恐怖」と「怪奇」の違いに従えば、「怪奇」に該当するのだと思う。恐怖とちがって、怪奇には、ファンタジーの要素があり、恐怖の対象にとらわれていることを望ましいと思っている側面がある。だから、性の目覚めにより実姉トマシンを意識しはじめている弟ケイレブの前には、スーパーモデルみたいな魔女があらわれるのだ。 低予算だと思われるが、ロウソクの火で照らされた画面には拘りがあり、高解像度のカメラゆえに成立する薄暗い画面は、汚いはずの環境がクリーンに再現される…

夢の丘

…0/05/27鑑賞 監督:高橋洋 禍々しい窓と水滴とオーヴァーラップ。そして白昼夢のように明るいホラー映画。 窓は光を透過もし、反射もする素材なので、窓を映せば自然にオーヴァーラップと似たような映像が撮れる。この映画では、窓の外にある丘を眺める人物が何度も出てくるのだが、そのときの透過/反射の主題が、今度は本当にオーヴァーラップの技法が使われるときに反復される。 姉妹ものであることや、アーサー・マッケン的設定(タイトルもアーサー・マッケンからの引用)には高橋洋の手癖を感じる。

リング

…督:中田秀夫 脚本の高橋洋本人も認めている通り、最後の貞子登場シーンは完全に失敗している。あれは照明がダメだろう。なにより怖くない。あれなら冒頭で死んでいた女の子の方が怖いんじゃないか。 一方で、ビデオの方は成功していると思った。あれはやっぱり怖い。しかし光が問題なのであれば、案外これを達成し得る人材は、光の神様たる侯孝賢×李屏賓ペアなんじゃないだろうか、、、と考えたが、すぐに光だけの問題じゃないと思い直した。 時間制限のラブロマンスであり、ラストミニッツレスキューでもある。…

ドロメ 女子編

… Jホラー、とりわけ高橋洋が脚本した『リング』や、黒沢清の一連の映画では、幽霊や怪物が、一度動き出したら人為的には止められない運命の装置として作動する。恐怖とは不条理のことであり、人間にはどうすることもできないものとして志向されている。したがって、幽霊はその場にいるだけで怖い存在なのであって、襲うときもゆっくりじわじわと移動し、むしろアメリカ映画のモンスターのように迅速に飛び掛ってはいけない(それはアクション映画になってしまうと黒沢清は言う)。 このような運命に対して、人間が…

春の劇

…る。「劇映画は記録されたドラマ」、「ドキュメンタリー映画はドラマ化された記録」という表現があるが(確か『映画の生体解剖』で高橋洋が言っていたような気がするが、元ネタはわからない)、オリヴェイラは前者をかなり「記録」に寄せたようなつくりの作品が多いように思える。『春の劇』がそのターニングポイントらしい。わたしとしては『ブロンド少女は過激に美しく』くらい、巧妙なズレが絶えず襲い掛かってくるならともかく、これはきついなーと思った。オチも安易というか、作為的にすぎるように感じられた。

マーターズ

…人が指摘しているが)高橋洋に似た性向を感じる。 人間は修羅場で物を正確に見ることができないので、アップカットにアップカットを繋ぎ、カット数も多くなる、という作り手の思想が見える。そのため、観客をクールダウンさせるときにはロングショットを撮るというわけだ。 最後のマーターの姿が、『裁かるゝジャンヌ 』のジャンヌや『マイノリティ・リポート』のアガサに接近することには不思議な縁を感じる。この監督はセクトもの好きだよな。終盤はやや手温く、難しいだろう主人公が殉教者になるまでの過程をハ…