呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

カード・カウンター

2024/4/19鑑賞

  • 監督:ポール・シュレイダー
  • オスカー・アイザック主演。過去にアブグレイブ刑務所で拷問官を務めていた男が、そこでの所業が明るみになって服役したのち、現在はカジノで出禁にならないよう、ほどほどに稼ぐことで生活の糧を得ていたが、、、会った若者から復讐を持ち掛けられて、という話。
  • カチコミに行こうとする若人をいさめる主人公像が、ポール・シュレイダーとしては新鮮だった。
  • オスカー・アイザックは、革ジャンとシャツを着てネクタイを締め、死んだ目でギャンブルをやり続ける。カードを指でさばき、チップを弄び、張って、勝って、降りる。
  • 映画ではゲームの内容には踏み込まず、駆け引きも存在しない。というのもオスカー・アイザックがギャンブルをひたすらやり続けるのは、カジノが煉獄の表象で、彼がずっとそこに閉じ込められていることを描いているに過ぎないからだ。
  • そして彼はずっと、出禁にされない程度にギャンブルを嗜んでいたはずだったが、共通の過去にさいなまれる若者を復讐の道から外し、普通の生活に戻してあげるために大きなギャンブル大会に出て金を稼ぐようになるのだった。
  • オスカー・アイザックがカードやっている様子を、クローネンバーグみたいに理知的でぎちぎちに統御された画面で撮ってるだけで結構ずっと見れる。 (オスカー・アイザックの人物造形がそういう、欲望や感情のたかぶりを抑え込んだ禁欲的な人物なんだけど)
  • 『魂のゆくえ』同様、画面の統制においても、主人公の感情の推移としても、奔放になることを抑え込むような処理をし続けていて、それがやがて爆発するところでクライマックスを持ってくる。ただし、『魂のゆくえ』のイーサン・ホークがほとんど自殺に向かっていくようなシナリオだったのに対し、本作のオスカー・アイザックはそのような自暴自棄に駆られる人間をたしなめる役柄をずっと行っている(そうすることで自分自身を救おうとしている)。つまり途中まではポジティブで健全な方向に進んでいたものが、終盤で崩壊するという点で、『魂のゆくえ』とは全く違うストーリーになっている。
  • (過去の回想は別として)現在時制で起きる暴力シーンはほぼ直接映さずに、観客の想像にゆだねる脚本になっていた。

シンデレラマン

2024-03-07鑑賞

  • 監督:ロン・ハワード
  • 大恐慌時代のアメリカ、落ち目のボクサー、ジェームズ・J・ブラドック(ラッセル・クロウ)はライセンスを剥奪され、日雇いの港湾労働者として配給に並び、ボクサー時代の仕事仲間に物乞いをしにいき、電気さえ止められるような生活に追い込まれていた。当然家族は困窮し、やがてどうしても避けたかったこと、つまり「子供を親戚に預ける」ことさえ検討しなければならなくなったのだが、ある日、元マネージャーから試合の誘いがやってきて、復帰のチャンスを与えられるのだった。誰もがブラドックの本格的な復帰は無理だと考えていた中、彼は勝ち続けて、いよいよヘビー級チャンピオンの挑戦権まで獲得する。
  • 実話ベースだが、とてもいいときの『スーパーマン』を読んでいるときのような、グッドストーリーをそのまま撮っているような良さがある映画だった。
  • 試合、興行ものは、ラジオとかテレビで試合を見る観客のカットがすごい重要になってくるのだが、まさしく本作は観客に応援されるブラドックの姿が、スーパーマン的王道に繋がっていく。
  • 最終試合当日、妻が教会に祈りにいったら、世界恐慌下でシンデレラマンの勝利を祈りきた人々で満杯になっていたシーンが素晴らしい。

イコライザー THE FINAL

  • 監督:アントワーン・フークア
  • シチリアでマフィアを壊滅させた元CIA凄腕エージェントのロバート・マッコールは、不注意から負傷したのち、たどり着いた田舎町で療養する。その町で過ごすうちに住民と打ち解けていくのだが、そこには寄生虫のようにはびこるマフィアの姿があって...。
  • 冒頭、少年に撃たれたロバート・マッコールがイタリアの田舎町で療養するのだが、そこにはやはり当然のようにマフィアがいて、当然のように人々が虐げられている。コテコテの西部劇、任侠映画的な「町の外からやってきた風来坊が悪党をこらしめる」エピソードなのだが、そういうものとしてよく出来ていた。
  • ショバ代を払えないでいる魚屋の亭主が虐げられているパートが簡潔ながら効果的で、どの映画にも出てきそうなイタリア・マフィアを「憎むべき悪党」としてきちんと仕立て上げていた。
  • というよりもむしろ重要なのは、デンゼル・ワシントンとチンピラマフィアたちの視線がいつ殺し合いに発展するのか?、というサスペンスの方なのかもしれない。聞こえてくる悲鳴、大きな音、民家の前でたむろするガラの悪い男たち。それを気にして立ち止まり、振り返り、にらみつけるデンゼル・ワシントン
  • アクションシーンは小規模なものが三つしかないが、少ない分、それがいつ爆発するかわからない期待感も維持されていた。テーマとなる音楽もかかる回数が少なく、アクションシーンを盛り上げる。
  • 画面は黒主体のカラー映画で、イタリア、マフィア、石造りの民家、海、宗教モチーフなどが統合されていて渋い。
  • ダコタ・ファニングがCIAとして出ている。デンゼル・ワシントンとは『マイ・ボディガード』以来の共演?
  • 一作目、二作目、三作目とどんどん上映時間が短くなっている。その代償に一作目のようなオリジナリティは消えたかもしれないし、(こんなに渋い、暗いトーンのシリーズになるとは思っていなかった)、散文性も後退したかもしれないが、ジャンル映画としては無駄なく磨かれている。
  • 「外国の素朴で魅力的な田舎」に対するカメラの向け方があまりにも観光映画的ではないか、というか、このように素朴な田舎に対する目線が現代に存在していいのだろうか、と感じる部分もある(舞台が日本で、マフィアがヤクザに入れ関わったら相当笑える映画なのではないか、とか)。それが悪いと言いたいわけではなくて、田舎町に対する時代錯誤なまでのポジティブな目線が、少し微笑ましく笑えるのだった。

フェイブルマンズ

2024-01-01鑑賞

  • 監督:スティーブン・スピルバーグ
  • スピルバーグの自伝的作品だということと、(デイヴィッド・リンチが演じる)ジョン・フォードが出るという前情報をもって見た。
  • 実のところどこまでが事実で、どこからが創作なのかは知らないのだが、全体的に未来の巨匠の少年時代の逸話としてよくまとまっている。芸術と私生活の相克という、伝記におあつらえ向きのテーマが備わっているので猶更そう思わせられる。
  • 映画館で『地上最大のショウ』の列車衝突シーンを見て、映画に”目覚める”というエピソードはあまりにもスピルバーグらしくて笑えるというか性癖告白的な場面に思えて苦笑した。
  • ラスト、やや唐突に挟まるのが、映画監督ジョン・フォードと面会し、彼から「地平線を真ん中に置くな!」というアドバイスを貰う場面だ。終わらせ方としてものすごくかっこいいけど、作中では『リバティ・バランスを射った男』に影響されて西部劇を撮ったエピソードしかなく、特にジョン・フォードが何者であるかの説明もないので、彼のことを知らない人にとってはかなり意味の分からない幕切れではないか。
    • ただまあ、その「ジョン・フォードのことを知らないやつなんてまさかいないよな? 彼は史上最高の映画監督なんだ」とでも言いたげなエピソードの挿入の仕方そのものがかっこいい。
  • 列車衝突フェチにはじまったサミー少年の夢が(ミシェル・ウィリアムズが扮する母曰く、物事を思い通りにしたいという欲望のことだとか)、一度アリゾナで花開き、カリフォルニアで挫折したのちにプロムの記録映画上映のシーンで結実する。そして、自分をいじめていた不良男との和解や、父の理解を得て、実際にテレビ関係の仕事に就くことで職業的なテーマについては決着がついたように感じられる。
  • しかし、両親の離婚についてどのように折り合いをつけたのかについては、父、母に対してそれぞれ1エピソード程度語られて終わりなので、やや消化不良の感は否めない。特に抱擁で終わった母との関係はともかく、父との関係はぎくしゃくしたままだったのだろうか、それともそこを加えると尺が長くなりすぎるという判断なのだろうか。
  • 親族にあくの強い脇役が二人いる。父方の祖母で、ミシェル・ウィリアムズに対してくどくどと伝統を解く姑役をやっているジニー・バーリン。顔を見ただけで性格がわかる。(そういう配役になっている)
  • もう一人が、母方の伯父。つい先日死んだはずの祖母から電話がかかってきて、「やってくる男を家に入れるな」と警告する。馬鹿げた悪夢のようにも思えたが、予言は成就し、その親族でありサーカスのライオン使いである伯父が家を実際に訪ねてくる。窓のカーテン越しに複数人の女性がおそるおそる外を観察するという西部劇めいたショットも挿入される。伯父は1927年以前の映画製作にも関わっていたとか。
  • というか若干釈然としないのは、スピルバーグセシル・B・デミルジョン・フォードを影響元の最上位に置くような逸話の配置かもしれない。それはまあ、エピソードも強いし、実際にそうなのかもしれないけどスピルバーグってフォードというよりはハワード・ホークス的な作家じゃないですか? あの幼稚性、破天荒さや、それが面白いと思ったら全体の構成よりもアクションや見せ場の面白さに傾倒していくような感覚はどちらかといえばハワード・ホークス的だし、『ジュラシック・パーク』は『赤ちゃん教育』じゃないかという。
  • 確かに『宇宙戦争』の最後はまんまフォードの『捜索者』だし、他にも多くの影響を受けているんだろうけど。ここで言いたいのは、作家としての資質の話。
    • ほとんど妄想だけど、カリフォルニアに移住したフェイブルマン一家が猿を飼い始めて、「モンキー・ビジネス」という単語がイースターエッグのように配置されているのは、ハワード・ホークスへの目配せだと受け取ったからな...!
  • アメリカで暮らすユダヤ系一家の境遇については、ジャーナリズム的な楽しみもある。
  • 作中で何度か「二人だけの秘密」が交わされる様子が出てくるんだが、作中のエピソードが実話なのだとしたら、この映画が存在すること自体が秘密を暴いているのではないかと思った。

仁義の墓場

  • 監督:深作欣二
  • すごい映画だった。
  • この世に何一つ良いことをもたらしていなさそうなヤクザ男が、触れるもの全てを(主に不幸にもこの男に関わってしまったヤクザ達を)傷つけていく。
  • 人の家(というかヤクザの家に)に上がり込んできて、背中まげて俯いて一言も喋らずにその場にじっとしていることで、厄介払いしたい相手が渋々金を渡す。何もせずに俯きながら金をとっていく姿が疫病神そのもの。
  • 遺骨入った木箱を常に抱えながら歩き始めてキャラクターとして完成するところがある。遺骨かじり出す場面がやべー。
  • 遺骨抱えて墓場をうろうろしていると、どこからともなく念仏が聞こえてくる。あの世と接続されるヤクザ映画。
  • 演出がどうというより映っているものがすごい。出てくる人間の動機が全然分からず、何もかもめちゃくちゃになっていくこと自体の面白さがある。本歌取りをやってみたくなるような映画だった。
  • カメラはかなりの確率で傾いており、荒っぽく揺れる。

ジュラシック・ワールド

2016/10/13鑑賞

  • 監督:コリン・トレボロ
  • あの悲劇的な事件から20年後、人類は凝りもせず恐竜テーマパークを再建し、それを成功させているのだが、常に新しい刺激を求める客の要望に応えるため2600万ドルかけて新種を生み出すなどの施策を行っており、その新種が例によって例のごとく脱走するので、パークには再び悲劇が訪れることになる。
  • 卵が割れる冒頭からTレックスの吼えるラストまで、小規模ながら視覚的なアクセントや動きのあるフレーミングを広く全体に散りばめており、2時間飽きずに見ることができる。このあたりは製作総指揮を務めるときのスピルバーグっぽい。会話シーンにも動きがあり、また何気ないところにも小さなアイデアが置かれている。アクションの位置関係はわかりやすく、窓というフレームを介して恐竜と対面し、その「侵入」にこだわるというのは本シリーズに一貫する美点ではないかと思った。猛獣を檻の中に閉じ込めている、という点で最初から勝っているのだと思う。すると人間はむしろ檻に閉じ込められ、恐竜は自由に弱肉強食ぶりを見せつけることになる。クリス・プラットが元海軍の恐竜飼育員を、パークの運営責任者の白衣の美女をブライス・ダラス・ハワードが演じていて、ありがちといえばありがちな人物造形ながら、役者がいかにもそれらしい外見をしているおかげか魅力的だった。騒動に巻き込まれる兄弟はほほえましい。このシリーズは1〜3のいずれもが傑作であり、本作はその最もバランスのよい傑作としてシリーズ第4作にふさわしいものだろう。悪趣味さや粘着質な部分ではスピルバーグの本領からは遠い部分もあるが(特に作家性の爆発した「ロストワールド」と比較すると)、結局のところそのあたりを出過ぎないようにするのが娯楽映画としては功を奏しているように思える。とはいえ、警備部隊は容赦なく殺されていくし、パークのそれとない俗悪さ(存在しなかったハイブリッド種の作成、Tレックスによる牛の捕食を撮影する客など)がいかにもテーマパークっぽくデザインされていて、なおかつ兄弟の付き添いの人を殺すときには「できるだけ楽しく殺そう」というスピルバーグ的な幼稚さも一部再現されている。本作のTレックスはほぼ平成ゴジラといっても過言ではなく、その登場シーンをスローモーションで撮ったことは完全に正しいことのように思われた。ラプトルの猟犬ぶりは楽しく、また盛り上がるし、モササウルスが随所でユーモラスに漁夫の利を得るのもいい。バックオフィス人間と現場人間の融和も、兄弟の和解も素朴に感動したし、彼らが自動車の運転という職業的運動を共有するところなんか素晴らしい。正直、怪獣バトルすら昨今珍しいので、本作のすばらしい怪獣バトル映画ぶりには童心にかえったようにわくわくしてしまった。傑作だと思うし、擁護したい。しかしながら、常に新しい刺激を求める客には、「1作目の衝撃には及ばない」などと言われているようで、娯楽というのは難しいものだと思った。

ラブ&ドラッグ

2016/10/13鑑賞

  • 監督:エドワード・ズウィック
  • ぱっとしない電化製品をご機嫌に売りまくっていくチャラ男のセールスマンが店長のガールフレンドと業務中に寝たところ、少々おいたが過ぎたということで解雇され、家族会議の結果として、事業に成功したデブでオタクの弟の提案から、製薬会社のセールスマンに鞍替えすることになる。どう考えても倫理的に問題のあるファイザー製薬社の研修を乗り越えたチャラ男は、得意の話術で病院にひたすら営業トークを仕掛けていくし、受付嬢と寝たりもするのだが、強力なライバルがいるためノルマを果たせないでいる。そんなときに若年性パーキンソン病患者のマギーと出会ったチャラ男は、チャラ男らしからぬ調子でマギーに言い寄って、持病のために深い関係になることを恐れる彼女の心を次第に勝ち取っていくことになる。マギーとの恋愛模様と並行するように薬品のセールスを進め、上司や医者や医者狙いの美女と関係を深めていったり、派手なグラマー美女の妻に家を放り出された弟が転がり込んできて奇妙な同棲生活を続けたりするが、あと一歩ライバルに及ばないというところで、バイアグラの営業担当者となることで一躍トップに躍り出る。ニュースにも取り上げられ、このあたりだけ少し実話風味のにおいが出てくる。しかし、パーキンソン病患者の集会に出たマギーが他の闘病仲間を見て勇気づけられるのとは対照的に、傍で支え続けた老人の忠告にダメージを受け、パーキンソン病の治療法を捜し求めてマギーを連れまわし出したチャラ男に、とうとうマギーが別れを告げることになる。その後、キャリアを順調に重ねるチャラ男だが、マギーのことが忘れられず、ある日そのきっかけがやってくることになる。
  • 冒頭、ジェイク・ギレンホールがラジカセを肩にしょって踊りながらセールスをしている場面で、「エドワード・ズウィックもやけくそになったか」「こういう題材は向いていないのでは」などと思っていると、そのままあれよあれよとテンポよく進んでいって気がつけば目が離せなくなっていた。テンポと小ネタの量は重要なのだ。とはいえ、運動神経がある程度よくないとこういうことはできないだろうとも思う。あと、自分では絶対にやりたくないが、アコギな商売の話というのは面白い、ということだろう。醒めた人間が段々のぼせていくという自分が好きなタイプのラブコメになっていて、闘病ものとアコギな成功譚という一見相性がよいとも思えない実話がベースではあるが、基本的にはオーソドックスにまとまっている。実話らしさというのもそこまで出ていない。エドワード・ズウィックといえば戦争映画に強い映画監督で、説話のバランスがよく、全体的にとても器用だという評価で見ていたが、ここまでコテコテのラブコメができるとは思っていなかった。終盤の決めどころでは、いくらなんでもそこまでやらなくていいだろう、というくらいに男女のクローズアップの切り返しを連発しており、ラブコメを見るときについ思ってしまう「臭すぎるだろ」という感想がつい出てきてしまい、まるでラブコメ専門の人がやっているかのようなジャンルへの迫り方だなあと思った。悪い意味ではなく、むしろいい意味で驚かされた。