呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

オールド

2022/3/9鑑賞

  • 監督:M・ナイト・シャマラン
  • 2008年『ハプニング』、2015年『ヴィジット』以来のカルトなシャマランの気配が濃厚な新作であり、面白かった。強いて言えばちょっと長いかな。
  • 時間が急速に経過するプライベートビーチという、特殊な閉鎖空間内でのサスペンスが展開されるという大ネタは聞いていたものの、それ以上に驚くのはかなり過激なレイアウト・フレーミングが頻出することだ。また、カメラが180度、360度回転するような長回しも多く、全体的にシャマランの技巧的な側面が強く出ていた。
  • 映画を作るということを考えた場合、そもそもプライベートビーチというのが鬼門である。撮るべきものはほとんどなく、何もない海と、何もない浜辺があるだけで、あとはその場にいる人間と小道具でなんとかするしかない。シチュエーションとして制約が強すぎて、あらゆる面でできることが少ないのだ。これに失敗したのがコレット=セラ『ロスト・バケーション』で、プライベートビーチにほぼ一人、という状況でサメに襲われる話なのだが、案の定手詰まり感が強くて時間稼ぎのようなショットに終始してしまっていた。あの『ジョーズ』も混雑したビーチで、白昼堂々サメに襲わせていたことを思い出そう。わざわざ難しい題材を選ぶことはないのだ。
  • そういう意味で『オールド』は、プライベートビーチという鬼門を選んだものの、そこに閉じ込める人物を十人ほど用意することで緩和し、しかもひらすら変な構図を連発することで観客の目を飽きさせないように工夫していた。
  • 前半、急速に子供たちが成長していくというショックシーンの印象を強めるために、あえて子供たちをフレームアウトさせている場面が多いんだけど、そのために変な場所で被写体が見切れているショットが頻出する。この点については、ルクレシア・マルテル『沼地という名の町』をかなり参照しているという指摘があって、実際に確認してみるとかなりそのまんまなショットも複数あって、指摘の通りだと思う。なんちゃってルクレシア・マルテルというか、奥行きの複雑な使い方が特に似ている。そういった芸術映画の手法のチープな模倣と言えなくもないんだけど、ハリウッドで大ヒットを飛ばす作家がB級な題材の映画でやるというのが面白い。
  • 映画は、ひとつの家族(夫婦と姉弟)がバカンスに出かけてホテルに到着する場面からはじまる。まずここで、到着時のウェルカムドリンクとばかりにカクテルを持ってくる女性の顔がすごい(調べるとあのクリント・イーストウッドの娘であることがわかる)。正統派美人という感じではなくややファニーフェイスで、目が少し離れているのだけど、シャマランの映画に出てくるとそのファニーフェイスぶりが強調される。(この時点で、この映画すごいなと思う)
  • 急速な老化現象は、サスペンス展開に活かされるものの、巻き込まれた登場人物の側にほとんど抵抗する手段が用意されていないので、実際にはサスペンス性はそこまで強くなく、ストーリーの求心力もやや弱く感じられた(打開方法が無さ過ぎて展開が停滞するのだ)。代わりに焦点があてられるのは、本作の寓話性であり、むしろバカンスにやってきた崩れかけの家族の再生である。これはシャマランが『サイン』や『ハプニング』などで何度も繰り返してきた題材だ。(逆にこの家族以外の登場人物の扱いがかなり残酷な映画でもある)
  • この家族が危機にあることは映画のかなり序盤でわかる。妻は病気で命を脅かされていて、夫婦仲には亀裂が入っている。もはや離婚は秒読みだ。子供もそのことを知っている。しかし、そういった事情はすべてこの奇妙なプライベートビーチのもたらす老化現象によって無為に帰す。三十分で一年が経過するビーチで、子供たちは急速に大人になり、自分たちは何十年も年を取る。妻の腫瘍は切除されて病気が回復し、夫は目を悪くしてすべてがぼけていく。
  • (この夫のPOVショットが何度か挿入されるのだが、ピントが全くあっておらずボケた画面になっている。知る限りで過去に同様の演出を用いたことがあるのはアラン・ムーア『ネオノミコン』だろうか。暴力と水場が絡むところも一緒)
  • 夫婦は急速に老いていくことで、壊れかけていた絆を取り戻す。やがて夜になり、海を見つめながら、ありえたようでありえなかった老後の二人の時間を過ごすのだ。
  • 最後に、その二人の子供たちが状況を打開する方法を見出し、やがてこの恐ろしいビーチに対する種明かしもあるのだが、それらはおまけのようなもので(エンタメとしてのオチ、寓話性の緩和)、映画全体ではあの夜の場面が救いになっているのだと思う。