2024-01-01鑑賞
- 監督:スティーブン・スピルバーグ
- スピルバーグの自伝的作品だということと、(デイヴィッド・リンチが演じる)ジョン・フォードが出るという前情報をもって見た。
- 実のところどこまでが事実で、どこからが創作なのかは知らないのだが、全体的に未来の巨匠の少年時代の逸話としてよくまとまっている。芸術と私生活の相克という、伝記におあつらえ向きのテーマが備わっているので猶更そう思わせられる。
- 映画館で『地上最大のショウ』の列車衝突シーンを見て、映画に”目覚める”というエピソードはあまりにもスピルバーグらしくて笑えるというか性癖告白的な場面に思えて苦笑した。
- ラスト、やや唐突に挟まるのが、映画監督ジョン・フォードと面会し、彼から「地平線を真ん中に置くな!」というアドバイスを貰う場面だ。終わらせ方としてものすごくかっこいいけど、作中では『リバティ・バランスを射った男』に影響されて西部劇を撮ったエピソードしかなく、特にジョン・フォードが何者であるかの説明もないので、彼のことを知らない人にとってはかなり意味の分からない幕切れではないか。
- ただまあ、その「ジョン・フォードのことを知らないやつなんてまさかいないよな? 彼は史上最高の映画監督なんだ」とでも言いたげなエピソードの挿入の仕方そのものがかっこいい。
- 列車衝突フェチにはじまったサミー少年の夢が(ミシェル・ウィリアムズが扮する母曰く、物事を思い通りにしたいという欲望のことだとか)、一度アリゾナで花開き、カリフォルニアで挫折したのちにプロムの記録映画上映のシーンで結実する。そして、自分をいじめていた不良男との和解や、父の理解を得て、実際にテレビ関係の仕事に就くことで職業的なテーマについては決着がついたように感じられる。
- しかし、両親の離婚についてどのように折り合いをつけたのかについては、父、母に対してそれぞれ1エピソード程度語られて終わりなので、やや消化不良の感は否めない。特に抱擁で終わった母との関係はともかく、父との関係はぎくしゃくしたままだったのだろうか、それともそこを加えると尺が長くなりすぎるという判断なのだろうか。
- 親族にあくの強い脇役が二人いる。父方の祖母で、ミシェル・ウィリアムズに対してくどくどと伝統を解く姑役をやっているジニー・バーリン。顔を見ただけで性格がわかる。(そういう配役になっている)
- もう一人が、母方の伯父。つい先日死んだはずの祖母から電話がかかってきて、「やってくる男を家に入れるな」と警告する。馬鹿げた悪夢のようにも思えたが、予言は成就し、その親族でありサーカスのライオン使いである伯父が家を実際に訪ねてくる。窓のカーテン越しに複数人の女性がおそるおそる外を観察するという西部劇めいたショットも挿入される。伯父は1927年以前の映画製作にも関わっていたとか。
- というか若干釈然としないのは、スピルバーグがセシル・B・デミルとジョン・フォードを影響元の最上位に置くような逸話の配置かもしれない。それはまあ、エピソードも強いし、実際にそうなのかもしれないけどスピルバーグってフォードというよりはハワード・ホークス的な作家じゃないですか? あの幼稚性、破天荒さや、それが面白いと思ったら全体の構成よりもアクションや見せ場の面白さに傾倒していくような感覚はどちらかといえばハワード・ホークス的だし、『ジュラシック・パーク』は『赤ちゃん教育』じゃないかという。
- 確かに『宇宙戦争』の最後はまんまフォードの『捜索者』だし、他にも多くの影響を受けているんだろうけど。ここで言いたいのは、作家としての資質の話。
- アメリカで暮らすユダヤ系一家の境遇については、ジャーナリズム的な楽しみもある。
- 作中で何度か「二人だけの秘密」が交わされる様子が出てくるんだが、作中のエピソードが実話なのだとしたら、この映画が存在すること自体が秘密を暴いているのではないかと思った。