呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

早春

2018/8/23鑑賞

  • 監督:小津安二郎
  • 凄かった。あの蓮實重彦の「映画は見つめ合う瞳を映せない」とか何とやらといった言葉と、小津の真正面からの切り返しの関係性を初めて心から体感した。
  • 終盤、浮気騒動で仲たがいした夫婦が地方にやって来て和解する場面。真正面から見つめ合っている夫婦が、その瞳をふと横にズラす。ここで二人は同じものを見ているのだが、これまで散々真正面からの切り返しを見ていた観客にとっては、同じレイアウトのまま人物が横を向く、ただそれだけなのに驚くべき瞬間として映ってしまう。その結果として感動する。
  • また、その前に挟まれる仲人と夫の水辺での会話も感動的だ。画面を左右に分けるように橋を配置し、横並びになる二人をほぼ中央に寄せ、画面を真横から撮ったカット。その二人と同じ方を向きつつも素早く上手の方へ過ぎ去っていく「若さ」を誇張されたボート部の面々、、、という人生の悲哀を強調する見事なショットのすぐあと、「お父さん」と仲人を呼ぶ息子の声がする。すると橋下にいる二人と橋上にいる息子を同時に真正面から撮ったカットに移り、やがて三人は同じ方向へと歩いていく。先程と同じ「若さ」と「老い」を対比させるカットだが、全く逆の意味を持たせている。
  • あるいは、その前にある不倫相手との向かい合った清々しい握手の場面、、、その不倫相手との馴れ初めとなったハイキングの挿話でのトラックでの抜け駆け、という風に映画はいくらでも遡って分析し続けることができる。細部が反復され、感動を生むようになっているのだ。
  • このように説話と直接関係を結ぶ細部もあれば、複雑なスタンダードサイズのレイアウトに収まり、小道具、背景、ピント、照明などが絡み合い、意味を持たないまま前後のカット同士で刺激し合い、観客にとって予想もつかない角度から瞳を刺激してくれる細部もある。
  • ここに描き尽くせるとは到底思えない、このような複雑な造形物を作れるということに私のような凡夫は驚いたし、それこそ芸術と呼ぶ価値があるのだと思う。
  • 天井からコードが伸びてるアイロンをかけている女性が手前にいて、半透明の暖簾が右側に垂れ下がり、奥にまた別の女性がいるカットはかなりインパクトがあり、脳に焼き付いた。
  • また、手前から奥まで何層も切り分けたような空間・レイアウトの造形は侯孝賢を連想したけど(だから侯孝賢は小津っぽいって言われるんだな)、侯孝賢がその層を(やや即興性を意識させるような)移動をすることに意識を傾けているのに対して、小津はもっと平面的な美意識の方を強く感じる。
  • 妻の翻意を示すものが、なによりも掛けられた服だというところに『監督 小津安二郎』でも語られていた「着替えること」に関する分析を思い出した。