呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

グリーン・ナイト

2024/4/9鑑賞

あらすじ

  • 円卓の騎士ガウェインが、クリスマスの日にやってきた謎のグリーン・ナイトとの一騎打ちに挑み、その結果首を切ることに成功するのだが、その1年後にグリーン・ナイトに斬首されるという約束を結ばされたため、それを果たすために旅に出るという話。

感想

  • 奇妙な説話、胡散臭い語り口、やたらと生首に関連する出来事ばかり起きるストーリー。ちょっと怪奇映画寄りのファンタジーになっていて、妖しさ満載で楽しい。
  • みんな話していた、360度パンするうちに時間がものすごく経過するショット(とそれが逆回転して因果が戻る)はミニ・アンゲロプロスみたいだ〜と興奮していた。
  • 語り口の不安定さを示すためなのか?たまに意味のよくわからないところで使われる、斜めに傾いたショット。
  • 完璧主義的な画面で、タルコフスキーキューブリックの影響や参照を感じつつも、大作志向がなく、本人初めての120分越えでも軽妙さが残っていることがよかった。
  • 色々と絵解きができる部分があっても、円環、緑(植物)、死(斬首)といった要素がすべて時間経過という映画のメディア特性にかかっていくから言語的になりきらないのかも。360度パンは、カメラが動いているあいだにフレーム外にある事象が変化しているかもしれないという映画らしいサスペンスになるわけだし、斬首はいわずもがなのスペクタクル(転がるところがなおよい)だ。さらにいえば斬られるのを待つ時間こそが宙づりのサスペンスであり、上下反転のカメラは脚本がリアリティを外れていく酩酊感に呼応している。
  • インタビューで答えていた、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの名前とか、コッポラ『ドラキュラ』を参照しているという話とかはなるほどという感じ。本人が挙げている『デッドマン』も近い映画だよね。『スリーピー・ホロウ』もそうだよね
  • 、という感じでインタビューの内容は結構正直に答えているのではないかと思った。ブレッソン『湖のランスロ』も当然のように挙げているけど、まあアーサー王物語×斬首といえばこれだ。それ以外の共通点はあまりないかもしれないが。

ロード・ハウス/孤独の街

2024/4/4鑑賞

あらすじ

UFC選手で、今は日々の生活にも困っている男ダルトンが、ある島の「ロードハウス」で用心棒の職を得ることになる。・・・が例によって例のごとく、土地開発を目論むマフィアのボスがいて、「ロードハウス」は強烈な立ち退き交渉に遭うことになる、という話。

感想

  • コナー・マクレガーに似ている人がいるなと思ったら、本人だった。本人のキャラクターを10倍くらい誇張したサイコな喧嘩屋をやっていた。
  • 基本はコメディで、主演のジェイク・ギレンホールはわき腹にナイフが刺さったまま喋り、喧嘩でボコった相手を病院に運ぶ。マフィア一味にはつい余計なことを喋ってしまうチンピラがいて、会話のかけあいで脱臼していく。
  • 舞台となる「ロードハウス」で連日連夜暴力沙汰が起きて用心棒が必要になる、という驚異の治安の悪さもコメディといえばコメディ。
  • 序盤の脚本はそこそこ良かったし、ダニエラ・メルヒオールは顎がとがった、すごく映画向きの顔をしたヒロイン。コナー・マクレガーは終始、本筋と関係があるような無いような災害として絡んでくる。
  • ただ、両ヒロインとの会話がしゃらくさいし、西部劇の定型に言及するセリフも鬱陶しい。格闘のスタントは多分マクレガーが指導しているのだと思うし、身体のすごく近いところにカメラを置いてみて、拳のふり抜きにそのカメラが追いていくところとかもチャレンジの賜物なんだと思うが、サスペンスが欠如しているというか、段取り臭くて、自分はいい部分を探すことができなかった。

カード・カウンター

2024/4/19鑑賞

  • 監督:ポール・シュレイダー
  • オスカー・アイザック主演。過去にアブグレイブ刑務所で拷問官を務めていた男が、そこでの所業が明るみになって服役したのち、現在はカジノで出禁にならないよう、ほどほどに稼ぐことで生活の糧を得ていたが、、、会った若者から復讐を持ち掛けられて、という話。
  • カチコミに行こうとする若人をいさめる主人公像が、ポール・シュレイダーとしては新鮮だった。
  • オスカー・アイザックは、革ジャンとシャツを着てネクタイを締め、死んだ目でギャンブルをやり続ける。カードを指でさばき、チップを弄び、張って、勝って、降りる。
  • 映画ではゲームの内容には踏み込まず、駆け引きも存在しない。というのもオスカー・アイザックがギャンブルをひたすらやり続けるのは、カジノが煉獄の表象で、彼がずっとそこに閉じ込められていることを描いているに過ぎないからだ。
  • そして彼はずっと、出禁にされない程度にギャンブルを嗜んでいたはずだったが、共通の過去にさいなまれる若者を復讐の道から外し、普通の生活に戻してあげるために大きなギャンブル大会に出て金を稼ぐようになるのだった。
  • オスカー・アイザックがカードやっている様子を、クローネンバーグみたいに理知的でぎちぎちに統御された画面で撮ってるだけで結構ずっと見れる。 (オスカー・アイザックの人物造形がそういう、欲望や感情のたかぶりを抑え込んだ禁欲的な人物なんだけど)
  • 『魂のゆくえ』同様、画面の統制においても、主人公の感情の推移としても、奔放になることを抑え込むような処理をし続けていて、それがやがて爆発するところでクライマックスを持ってくる。ただし、『魂のゆくえ』のイーサン・ホークがほとんど自殺に向かっていくようなシナリオだったのに対し、本作のオスカー・アイザックはそのような自暴自棄に駆られる人間をたしなめる役柄をずっと行っている(そうすることで自分自身を救おうとしている)。つまり途中まではポジティブで健全な方向に進んでいたものが、終盤で崩壊するという点で、『魂のゆくえ』とは全く違うストーリーになっている。
  • (過去の回想は別として)現在時制で起きる暴力シーンはほぼ直接映さずに、観客の想像にゆだねる脚本になっていた。

シンデレラマン

2024-03-07鑑賞

  • 監督:ロン・ハワード
  • 大恐慌時代のアメリカ、落ち目のボクサー、ジェームズ・J・ブラドック(ラッセル・クロウ)はライセンスを剥奪され、日雇いの港湾労働者として配給に並び、ボクサー時代の仕事仲間に物乞いをしにいき、電気さえ止められるような生活に追い込まれていた。当然家族は困窮し、やがてどうしても避けたかったこと、つまり「子供を親戚に預ける」ことさえ検討しなければならなくなったのだが、ある日、元マネージャーから試合の誘いがやってきて、復帰のチャンスを与えられるのだった。誰もがブラドックの本格的な復帰は無理だと考えていた中、彼は勝ち続けて、いよいよヘビー級チャンピオンの挑戦権まで獲得する。
  • 実話ベースだが、とてもいいときの『スーパーマン』を読んでいるときのような、グッドストーリーをそのまま撮っているような良さがある映画だった。
  • 試合、興行ものは、ラジオとかテレビで試合を見る観客のカットがすごい重要になってくるのだが、まさしく本作は観客に応援されるブラドックの姿が、スーパーマン的王道に繋がっていく。
  • 最終試合当日、妻が教会に祈りにいったら、世界恐慌下でシンデレラマンの勝利を祈りきた人々で満杯になっていたシーンが素晴らしい。

イコライザー THE FINAL

  • 監督:アントワーン・フークア
  • シチリアでマフィアを壊滅させた元CIA凄腕エージェントのロバート・マッコールは、不注意から負傷したのち、たどり着いた田舎町で療養する。その町で過ごすうちに住民と打ち解けていくのだが、そこには寄生虫のようにはびこるマフィアの姿があって...。
  • 冒頭、少年に撃たれたロバート・マッコールがイタリアの田舎町で療養するのだが、そこにはやはり当然のようにマフィアがいて、当然のように人々が虐げられている。コテコテの西部劇、任侠映画的な「町の外からやってきた風来坊が悪党をこらしめる」エピソードなのだが、そういうものとしてよく出来ていた。
  • ショバ代を払えないでいる魚屋の亭主が虐げられているパートが簡潔ながら効果的で、どの映画にも出てきそうなイタリア・マフィアを「憎むべき悪党」としてきちんと仕立て上げていた。
  • というよりもむしろ重要なのは、デンゼル・ワシントンとチンピラマフィアたちの視線がいつ殺し合いに発展するのか?、というサスペンスの方なのかもしれない。聞こえてくる悲鳴、大きな音、民家の前でたむろするガラの悪い男たち。それを気にして立ち止まり、振り返り、にらみつけるデンゼル・ワシントン
  • アクションシーンは小規模なものが三つしかないが、少ない分、それがいつ爆発するかわからない期待感も維持されていた。テーマとなる音楽もかかる回数が少なく、アクションシーンを盛り上げる。
  • 画面は黒主体のカラー映画で、イタリア、マフィア、石造りの民家、海、宗教モチーフなどが統合されていて渋い。
  • ダコタ・ファニングがCIAとして出ている。デンゼル・ワシントンとは『マイ・ボディガード』以来の共演?
  • 一作目、二作目、三作目とどんどん上映時間が短くなっている。その代償に一作目のようなオリジナリティは消えたかもしれないし、(こんなに渋い、暗いトーンのシリーズになるとは思っていなかった)、散文性も後退したかもしれないが、ジャンル映画としては無駄なく磨かれている。
  • 「外国の素朴で魅力的な田舎」に対するカメラの向け方があまりにも観光映画的ではないか、というか、このように素朴な田舎に対する目線が現代に存在していいのだろうか、と感じる部分もある(舞台が日本で、マフィアがヤクザに入れ関わったら相当笑える映画なのではないか、とか)。それが悪いと言いたいわけではなくて、田舎町に対する時代錯誤なまでのポジティブな目線が、少し微笑ましく笑えるのだった。

フェイブルマンズ

2024-01-01鑑賞

  • 監督:スティーブン・スピルバーグ
  • スピルバーグの自伝的作品だということと、(デイヴィッド・リンチが演じる)ジョン・フォードが出るという前情報をもって見た。
  • 実のところどこまでが事実で、どこからが創作なのかは知らないのだが、全体的に未来の巨匠の少年時代の逸話としてよくまとまっている。芸術と私生活の相克という、伝記におあつらえ向きのテーマが備わっているので猶更そう思わせられる。
  • 映画館で『地上最大のショウ』の列車衝突シーンを見て、映画に”目覚める”というエピソードはあまりにもスピルバーグらしくて笑えるというか性癖告白的な場面に思えて苦笑した。
  • ラスト、やや唐突に挟まるのが、映画監督ジョン・フォードと面会し、彼から「地平線を真ん中に置くな!」というアドバイスを貰う場面だ。終わらせ方としてものすごくかっこいいけど、作中では『リバティ・バランスを射った男』に影響されて西部劇を撮ったエピソードしかなく、特にジョン・フォードが何者であるかの説明もないので、彼のことを知らない人にとってはかなり意味の分からない幕切れではないか。
    • ただまあ、その「ジョン・フォードのことを知らないやつなんてまさかいないよな? 彼は史上最高の映画監督なんだ」とでも言いたげなエピソードの挿入の仕方そのものがかっこいい。
  • 列車衝突フェチにはじまったサミー少年の夢が(ミシェル・ウィリアムズが扮する母曰く、物事を思い通りにしたいという欲望のことだとか)、一度アリゾナで花開き、カリフォルニアで挫折したのちにプロムの記録映画上映のシーンで結実する。そして、自分をいじめていた不良男との和解や、父の理解を得て、実際にテレビ関係の仕事に就くことで職業的なテーマについては決着がついたように感じられる。
  • しかし、両親の離婚についてどのように折り合いをつけたのかについては、父、母に対してそれぞれ1エピソード程度語られて終わりなので、やや消化不良の感は否めない。特に抱擁で終わった母との関係はともかく、父との関係はぎくしゃくしたままだったのだろうか、それともそこを加えると尺が長くなりすぎるという判断なのだろうか。
  • 親族にあくの強い脇役が二人いる。父方の祖母で、ミシェル・ウィリアムズに対してくどくどと伝統を解く姑役をやっているジニー・バーリン。顔を見ただけで性格がわかる。(そういう配役になっている)
  • もう一人が、母方の伯父。つい先日死んだはずの祖母から電話がかかってきて、「やってくる男を家に入れるな」と警告する。馬鹿げた悪夢のようにも思えたが、予言は成就し、その親族でありサーカスのライオン使いである伯父が家を実際に訪ねてくる。窓のカーテン越しに複数人の女性がおそるおそる外を観察するという西部劇めいたショットも挿入される。伯父は1927年以前の映画製作にも関わっていたとか。
  • というか若干釈然としないのは、スピルバーグセシル・B・デミルジョン・フォードを影響元の最上位に置くような逸話の配置かもしれない。それはまあ、エピソードも強いし、実際にそうなのかもしれないけどスピルバーグってフォードというよりはハワード・ホークス的な作家じゃないですか? あの幼稚性、破天荒さや、それが面白いと思ったら全体の構成よりもアクションや見せ場の面白さに傾倒していくような感覚はどちらかといえばハワード・ホークス的だし、『ジュラシック・パーク』は『赤ちゃん教育』じゃないかという。
  • 確かに『宇宙戦争』の最後はまんまフォードの『捜索者』だし、他にも多くの影響を受けているんだろうけど。ここで言いたいのは、作家としての資質の話。
    • ほとんど妄想だけど、カリフォルニアに移住したフェイブルマン一家が猿を飼い始めて、「モンキー・ビジネス」という単語がイースターエッグのように配置されているのは、ハワード・ホークスへの目配せだと受け取ったからな...!
  • アメリカで暮らすユダヤ系一家の境遇については、ジャーナリズム的な楽しみもある。
  • 作中で何度か「二人だけの秘密」が交わされる様子が出てくるんだが、作中のエピソードが実話なのだとしたら、この映画が存在すること自体が秘密を暴いているのではないかと思った。

仁義の墓場

  • 監督:深作欣二
  • すごい映画だった。
  • この世に何一つ良いことをもたらしていなさそうなヤクザ男が、触れるもの全てを(主に不幸にもこの男に関わってしまったヤクザ達を)傷つけていく。
  • 人の家(というかヤクザの家に)に上がり込んできて、背中まげて俯いて一言も喋らずにその場にじっとしていることで、厄介払いしたい相手が渋々金を渡す。何もせずに俯きながら金をとっていく姿が疫病神そのもの。
  • 遺骨入った木箱を常に抱えながら歩き始めてキャラクターとして完成するところがある。遺骨かじり出す場面がやべー。
  • 遺骨抱えて墓場をうろうろしていると、どこからともなく念仏が聞こえてくる。あの世と接続されるヤクザ映画。
  • 演出がどうというより映っているものがすごい。出てくる人間の動機が全然分からず、何もかもめちゃくちゃになっていくこと自体の面白さがある。本歌取りをやってみたくなるような映画だった。
  • カメラはかなりの確率で傾いており、荒っぽく揺れる。