イコライザー2
2018/10/09鑑賞
- 監督:アントワーン・フークア
- タクシードライバーとして日々を過ごす元CIAの凄腕エージェントのロバート・マッコールは過去と決別し、夜な夜な悪を裁き、人助けをして、第二の生を謳歌していたが、旧友のスーザン・プラマーが担当した事件が不穏な展開を見せる。その事件の裏で関わっていたのは、過去の自分の同僚たちだったのだ。
- ホームセンターの仕事を辞めて、タクシードライバーになった様子のマッコールさんが、オープンワールドゲームのサブクエストを消化していくかのごとく悪人を裁いていくパートが全体のかなりを占める。フークアの出世作『トレーニングデイ』のように、自動車を自分の事務所として使うデンゼル・ワシントンと、その周囲にいる市井の人々が散文的に描き出されていくのだが、同時に悪や暴力が身近なものとして普遍的に存在していることも描写される。それを「イコライザー」であるデンゼル・ワシントンは圧倒的な暴力によって制裁するのだが、全くもって容赦がなく、しかも生殺与奪を完全に握って、自由な裁量を振るっている。あるときは改心の痛みか、肉体の痛みかのいずれかを選択させ、あるときは選択の余地なく肉体を痛めつける。現代の世相に反して、強い信念をもって行動し、他人の世話を焼きまくるマッコールさんはある意味で悪役よりもよほど観客から距離の遠い人間に見える。後半はハリケーンの接近と共にじりじりと盛り上がり、過去の同僚たちとの凄惨な殺し合いが行われる。無人のゴーストタウンでの決闘という西部劇的なシチュエーションを作るため、ハリケーンを用意するというのは強引でいいなと思った。ラストバトルが『ペイルライダー』ばりの恐怖・スラッシャー映画的な演出になるのは同様なのだが、前作とは異なりギャグ要素が削ぎ落されているため複雑さは減衰しているように思った。その代わり、湿っぽさは強まっている。なにせ「政府に捨てられたキリングマシーン」という共通点を持った人間たちが、かたや殺し屋として活動し、かたや世直しヒーローとして悪を裁いているのだ。「この世に善も悪もない」と語る悪役はとても人間くさく、言ってしまえば小市民的である。仕事は選べない。このことは学校をサボって麻薬売買をして、ギャング団に片足を突っ込んでいる黒人の若者とのエピソードでさらに補強されている。生活のために人は容易に魂を売り渡し、シニズムを口にするが、ロバート・マッコールはそのような落とし穴にははまらないのだ。しかし、何も知らない家族を背景にして「お前ら全員を殺す」と宣言したり、決戦の地であるゴーストタウンに殺された旧友の写真を貼ったりするマッコールさんが本当に病んでいないのか、気にかかるところではある。なお、ラストシーンは非常にマイケル・マン的な一枚画だった。