呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

アステロイド・シティ

2023/9/7鑑賞

  • 監督:ウェス・アンダーソン
  • 1955年、アメリカ南西部に位置するアステロイド・シティは、街というよりも、荒野にぽつんと現れたパーキングエリアと呼称したほうがよさそうな場所だ。施設は、ガソリンスタンド、モーテル、ダイナー、建設途中で放棄された高速道路、隕石が落下してできた巨大なクレーター、そして研究施設しかない。
  • そのアステロイド・シティに、科学賞の栄誉に輝いた5人の天才的な子供たちとその家族が招待されたところから物語は始まり、やがて訪れた授与式の途中で宇宙人が現れてしまう。
  • ウェス・アンダーソンの2年ぶりの新作には、西部劇的な舞台とSF映画のガジェットが組み合わされているが、取り急ぎそれは大して重要なことではない。
  • 驚くべきことは、予告編でも触れられておらず、公式ホームページに掲載されているあらすじには一切書かれていないことだが、この『アステロイド・シティ』は実は劇中劇で、冒頭は舞台裏の紹介から始まる、ということだ。
  • 脚本家の登場。役者の紹介。舞台セットの説明。舞台袖の解説。
    • ここでは、三人の人物をスタンダードサイズの画面(往年の映画の標準的なアスペクト比)に入れるにあたって鉄板の構図である、三角形の構図をウェスが高い次元で再現できることが示されているが、ひとまずそれも本題ではない。
  • ジェイソン・シュワルツマンが四人の子供たちに隠していた妻の死を明かす場面では、思わずその痛ましさに眼をそむけたくなるのだが、ふとこれが演劇であり、すべてが嘘だということを思い出すことで気をそらそうとしている自分がいる。
  • したがって戦場カメラマンであるジェイソン・シュワルツマンが、あたかも職業的にこびりついた動作であるかのようにカメラのシャッターを切るたびにも、それが職業的な運動ではなく台本にある通りの行為であるのだと思い返すことになるわけだ。
  • そういった風に観客が自主性を発揮せずとも、当然、映画はたびたび観客に冷や水をかけてくる。ジェイソン・シュワルツマンは舞台裏ではべりべりとその見事な顎髭をひっぺがし、パイプではなく紙タバコで一服するし、劇中では妻帯者だが、舞台裏では男の脚本家と懇ろになるのだ。
  • ウェス・アンダーソンが劇中劇や枠物語を用いるのはもちろんこれが初めてではない。『天才マックスの世界』では学園祭で妙に舞台美術に力の入った演劇が演じられ、『ライフ・アクアティック』では絵本のように嘘くさい世界観で海洋体験家がドキュメンタリー映画を撮影するという転倒があり、『グランド・ブダペスト・ホテル』はストーリー自体が何重にも入れ子構造になっている。
  • また『アステロイド・シティ』では、妻を亡くした戦場カメラマンが、フィクションの魔法を借りてその妻と再会する。
  • これもまた、別に珍しいことではない。死者との再会はフィクションにおける、いわば伝家の宝刀だ。死んだ祖父とつながった電話や、タイムトラベルで母親に会いに行くヒーロー、そのように虚構の奇跡を利用して、”たまたま彼岸に繋がってしまう”ことはよくある。
  • しかし、『アステロイド・シティ』で起きている事態はいささか複雑だ。ジェイソン・シュワルツマンの亡き妻は、上映時間の大半を占める劇中作のなかでは殆どまったく出てこない。生前の写真が一枚、残されているだけだ。
  • 上演の途中で役がわからなくなったジェイソン・シュワルツマンが脚本家に助けを求めるが「わからなくてもいいから演じろ」と突き放されたので、数分だけ劇場を抜け出しベランダでタバコをふかす場面で、ふとカメラが横移動しはじめる。
  • これもまた珍しくはない。横移動するカメラはウェス・アンダーソンのトレードマークでさえある。
  • しかし、そこから奇妙な転倒がはじまる。そのカメラが移動した先には、出番をほとんどカットされた亡き妻役の女優がいたのだ。
  • 通常、フィクションの中で起きる死者との再会は虚構の上に築かれる。タイムトラベルという虚構や、夢という虚構、録音された声や、残された伝言、渡し損ねた手紙などの上にフィクションの魔法はかかる。
  • しかし『アステロイド・シティ』では事情が異なる。〈アステロイド・シティ〉自体が虚構であり、妻が亡くなったことに苦しんでいるジェイソン・シュワルツマン自体もまた虚構であるため、むしろ逆に現実や、舞台裏がフィクションの悲しみを救済することになるのだ。
  • あたかもわたしが、母親の死を知らされて受け止めきれずにいる三人の幼い娘たちを見て心が痛んだので、〈アステロイド・シティ〉が(いや『アステロイド・シティ』が?)虚構だということを思い出そうとしたかのように。
  • 再会したジェイソン・シュワルツマンと、亡き妻役の女優、すなわちマーゴット・ロビーはそこでセリフを確認する。それはただのセリフ合わせに過ぎないが、しかし間違いなく〈アステロイド・シティ〉という劇中劇を救っている。