2016/9/9鑑賞
- 監督:アベル・フェラーラ
- ジャック・フィニィ『盗まれた街』の三度目の映画化。ドン・シーゲル版やフィリップ・カウフマン版に比べて世評が芳しくないという印象があったけど、これは情感がまったくなくてサイコーだな。
- オレンジ色の夕陽に包まれる牧歌的な郊外で、近くにある軍事施設だけがやや不穏である。そして夜はサーチライトの光が強烈に光る! 『ストレンジャー・シングス』的というか、前半はまるでスピルバーグの映画を見ているかのような雰囲気がある。
- そしてその、どこかノスタルジーを誘うところのある郊外のドラマから、やがて生き残りを賭けたエイリアンとの純粋な活劇に変貌していく。このギャップがいい。
- 街の人々と入れ替わった偽物たちから逃げ隠れしている中、それでも発見されてしまったときに偽物たちが取るモーションが素晴らしい! 指をさし、あんぐり開けた口から強烈な叫び声をあげるのだ! すごいインパクトがある。
- 潜伏シーンでは、「人類が殺戮されてるところを感情殺して潜伏する」→「肉体だけが再現された恋人の偽物が登場」と倫理的にきわどいところをチクチクと刺して、背徳感を責め立てるところが最高だ。
- 感情があるように振舞ってしまうと入れ替わっていないことがバレてしまうので、内面を押し殺して行動しなければならないという事情が上手い言い訳になっている。おかげで後半は冷徹な活劇にフォーカスすることができるのだ。
- シネマスコープであることを十分に活かした構図と、古典怪奇映画じみたシルエットを使うことで審美的にも美しい画面になっている。
- お絵描きの授業で、園児たちがまったく同じ内容のグロテスクな絵を描き、それを掲げるシーンの不気味さといい、肉親に振るわれる容赦のない暴力といい(偽物なのだから容赦してはならない)、ひねくれた観客にとっては嬉しい細部があちこちにみられる。
- 画面を傾けるのはシーゲル版同様の趣向だろうか。