呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

ルルドの泉で

2017/8/29鑑賞

  • 監督:ジェシカ・ハウスナー
  • 病気のせいで車椅子生活をしており、世話をしてもらわなければ食事をすることも、ベッドに寝ることも一人ではできないクリスティーヌという女性が、聖地ルルドにやってきて聖地巡礼ツアーに参加する。それほど熱心な信仰者というわけでもないクリスティーヌは、それほど熱心なボランティアとはいえないマリアに介護されつつ、あまり期待せずにツアーに参加していたが、同じく車椅子生活の少女が「奇跡」によって目覚めたところを見たあと、しばらくして自らも唐突ながら「奇跡」によって立って歩くことができるようになる。 ルルドの泉での奇跡認定は厳格であり、待合室で待たされ、医者による審査を受けたのち、医学的に説明がつかないということで晴れて「奇跡の少女」と認定される。 そのとき、先に「奇跡」が起きた車椅子の少女は残念ながら元に戻ってしまっていて、クリスティーヌはその母親から恐ろしい視線を受けることになった。これは「奇跡」などではなく、一時的な回復だという不安にさいなまれながら、クリスティーヌは意中の男とツアー中に抜け駆けしたり、一緒にダンスを踊ったりするのだが、まさにそのダンスの途中によろけて転倒してしまう。
  • 聖地巡礼をあからさまに商業的な観光ツアーとして描いており、なんなら冒頭で「巡礼というより観光みたい」などとクリスティーヌに喋らせることで親切にほのめかしてくれている。団体行動、行列、売店、送迎バス、集合写真、と観光ツアーにありがちなことはひととおり描かれており、地味ながらアイデアが多いので退屈しない。オリヴェイラの短編「征服者、征服さる」ほど馬鹿にした感じではなく、時々はドキュメンタリーを見ているような気分にもなる。『ビリディアナ』のように聖職者たちはカード遊びにふけっており、ルルドの泉から湧き出た水を差し出されても飲まず、代わりにワインを飲んでいる。信仰や奇跡について悩んでいる人々からの質問に対して、神父らの返事は通り一遍の形式的なもので、助けにはならない(信仰とはそういうものかもしれないが)。そのため、ここで描かれる「奇跡」には一般に想像されるような神秘性の一切が剥奪されており、これはきわめて即物的な態度だといえる。
  • クリスティーヌの介護をするマリアをレア・セドゥが演じており、これは初登場の場面からすでにもうシスターらしくない。ボランティアではない本職のシスターが痩せ細って、厳しくも職務に忠実な顔をしているのに対して、レア・セドゥの肉体にはぽっちゃりとした肉感があって、態度もどこかぞんざいでやる気がなさそうに見える。聖職者というよりかは、ポルノビデオでコスプレをしている女優といった趣だ。実際、時間が経つにつれて職務はぞんざいとなり、しばしばクリスティーヌを放って男の子たちとの交流に時間を割いている。また、最後にはカラオケでフェリシタを歌ってくれる。
  • 映像の強度は高いが、ジャーナリスティックでどこか水平的であり、題材にはマッチしている。カメラについての知識はまったくないのだが、この映画で映された自然の異物感はすごかった。これもオリヴェイラみたい。傑作だと思う。