呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

LUCY/ルーシー

2016/10/15鑑賞

  • 監督:リュック・ベッソン
  • 脳機能の20パーセント以上を使えるようになると新しい世界が開けるという仮説をノーマン博士が披露していると、まったく別の場所にいてまったくの不幸から韓国マフィアの運び屋にされたルーシーというブロンド美女が、腹に詰められたCPH4という青い新型ドラッグが漏れ出したせいで脳機能を拡張させてしまったので、次々と驚異的な能力を発揮して博士にコンタクトをとることにする。まさか本物が現れると思っていなかったノーマン博士はすぐさま研究チームを集めるが、ルーシーは身体の維持が困難になり、それを止める唯一の方法が他の運び屋の腹に詰まったCPH4だと気がつくので、韓国マフィアのボスから情報を得て、フランス警察の一人を脅迫して協力させつつ、韓国マフィアの猛攻をひとなでで壊滅させるなどしてようやく教授のもとへとたどり着く。そして、ルーシーはすべてのCPH4を体内に入れることで脳の機能を100パーセント使うことが可能となり、時を操り、人類の創世記に立会い、その持てる知識すべてを次世代コンピューターに込めて消える。ルーシーはこの世に偏在するようになる。
  • リュック・ベッソンによる『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』という趣があり、そのせいかスカーレット・ヨハンソンはまるで草薙素子……それも人形遣いと融合後の素子という感じがある。特に不必要なはずの中国要素もそのあたりから説明できる。韓国マフィアのボスの脳から直接的に情報を抜き取るところなど、人間の脳があそこまで監視カメラのように過去の映像を保存しているとは思えないし、そもそも人間の脳機能が拡張されたからといって通信機器を操ったり、人間を操ったり、外観を変化させたりなどできないだろうと思うのだが、要するにすべて擬似的なサイバーパンクなのだと考えると辻褄が合う(少なくとも何がやりたいのかがわかる)。致命的なのは前半のつまらなさで、冒頭のスカヨハとテンガロンハット男の口論は説明的だし同じくリュック・ベッソンの『アンジェラ』を思い出すような微妙にヒステリックな口論になっていて惹かれないし、モーガン・フリーマンの設定説明は言い訳くさいし、起きていることに自然界の動物のモンタージュを入れて意味的な連想をさせるのも効果的なのだろうか?という疑問符がつく。しかし、中盤のハチャメチャなカーチェイスや、韓国マフィアの病院襲撃のあたりから盛り上がり、最後にはいまどき珍しく崇高さへと突き抜けていくので、全体的にチープなサイバーパンクとして楽しんだ。アメリカ的なバカ映画のつくりに、微妙にヨーロッパのテイストが入っていることが差異になっている。

ザ・ベビーシッター

2017/11/24

  • 監督:マックG
  • 背伸びしたい時期なのに、注射が苦手で、クモがこわくて、美人のベビーシッターまでつけられているから学校ではいじめられている男の子が、両親不在のある日そのベビーシッターが夜にしでかしている大変なできごとを目撃してしまう。
  • 最初のほうはかなり辟易としたけど、85分という短さでホラーコメディを撮るマックGはとても生き生きとしている。学校の場面では、主人公とその仲のいい女の子以外はスローモーションになっていたり、たびたびフランケンハイマーの『セコンド』のような移動する役者にカメラをくっつけた撮影などが出てきて、正直その効果がいまいちよくわからなかったりもするのだが、総じて無駄なくかっちりできている。ベビーシッターが悪魔崇拝集団の一味であることはあらすじの時点でネタバレしているのだけど、それを明かすカットのインパクトが強いのであらすじを知っていても驚いた。短さゆえに時間稼ぎは一切なくシナリオが進行し、通報を受けた警察はやたらと到着が遅れることもなくばっちり登場し、そのあともぐいぐい進んでいく。悪魔崇拝集団のメンバーは一応は一般市民のはずなのにキャラがおかしく、非常事態にどうでもいい話で騒ぎ立てる黒人、殺しに躊躇のないゴス女、意識の高いイケメンマッチョサイコパス、どう見ても童貞のメガネ、そしてチアリーダー、という具合に揃っている。「プッシー」と罵倒されていた少年はシナリオを通じてトラウマを解消し、出てきた要素を無駄なく消化している。作中人物がファイナルディスティネーション級の偶然で凄惨な死を迎える本作だが、少年の奮闘に着目すると「ホーム・アローン」になるわけだし(実際言及がある)、図らずも双方の共通項を発見してしまう。 ベビーシッターから逃げ回ったあと女の子とキスする場面は、まだ危機から脱していないはずなのにダラダラと叙情的なシーンを続けていて、それ自体の出来はともかくとして、前後のサスペンスとのつながりが切れていて弛緩している。

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

2017/11/26鑑賞

  • 監督:アンディ・ムスキエティ
  • 吃音症の兄につくってもらった紙の船を、弟は排水溝に落としてしまう。このままでは兄に怒られると危惧した弟はその船を拾おうとするのだが、そこにはペニーワイズと名乗るピエロがいて、話しているうちに排水溝のなかへと引きずり込まれてしまった。それからしばらくして学校では、不良グループにいじめられている通称“ルーザーズ・クラブ”の面々が夏休みに突入しており、どうやって夏を過ごすのかを考えている。けれどもビルは、排水溝へと消えた弟ジョージィのことが気がかりで、とても遊ぶという気分になれないでいる。一方で、“ビッチ”と罵られる女の子ベバリーは、図書館に入り浸っているデブの男の子と仲良くなる。不良グループへの反発などもあり、合流していく少年少女たちは親交を深めるのだが、その過程でピエロの悪夢に襲われ、町では子供たちが次々と消えている。これは見過ごせないということになり、“それ”が下水道沿いに現れたことからその住処を突き止める。廃屋に突撃する“ルーザーズ・クラブ”だったが、案の定“それ”と遭遇した結果、エディという少年が骨折し、デブ君が腹を裂かれるなど手酷いしっぺ返しをくらったうえに、内輪揉めによって瓦解してしまう。関係が修復されないまま時間は経過し、そのうちに今度はベバリーが攫われてしまう。この危機に“ルーザーズ・クラブ”は再び集結し、“それ”からベバリーを奪還すべく、再び廃屋へと突撃する。
  • スティーブン・キング『IT』を原作とした二度目の映画化。なんと27年越しである。悪夢がかなり物質的で、かなり手間をかけて造形されているし、物理的に現実を傷つけるという点で『エルム街の悪夢』を思い出したが、タイトルでの音響の使い方など、ホラーとしてのデザインは同時代の『インシディアス』以降のものを踏襲しているように見える。排水溝を隔ててピエロと会話していた少年があちら側に引きずりこまれ......その水路から外に出たところでタイトルが出る。そのあとすぐ、柵越しの家畜を殺せないので父親に叱られる黒人の少年の挿話に移り、食う側と食われる側のどちらにいられるかは世の中大して保証されていないという説教が、柵というモチーフを通じてとてもわかりやすく提示される。そして、柵から出される家畜たちが、教室から出てくる生徒達に繋げられるので、やはりというか子供たちが次々と食われていく映画になるのだ。少年少女のキャラクターはよく特徴づけられていて、それが家庭環境と通じていたりする。その服装や雰囲気、そしてショックシーンでの悪夢の造形など、プロダクションデザインが相応に練られているし、特にヒロインの顔と髪はとても魅力的でかわいい。脚本には書かれていないような創意工夫をしようという痕跡も見られる。一方で、少年たちが仲違いする場面が段取りくさいとか、ヒロインが特権的に扱われ過ぎてちょっと恥ずかしいとか、青春とホラーが混ざっているせいか登場人物が多いせいか尺がホラーにしては長いとか、エディが病気だらけの男から逃げまどうところや、最後のペニーワイズとの戦闘などのアクションシーンについてはカメラがブレまくっていてとても見れたものではないとか、やたらと斜めに傾けた構図が使われるとか、気になる点もそこそこあった。ナチュラルに子供が人を殺す映画でもある。また、最初にペニーワイズが出てくる場面では、敷居越しに少年が引きずり込まれるのだが、その後の場面もかなりの確率で敷居越しになっているわけで、わざわざ黒人の少年の挿話も入れたわけだから、敷居越しというシチュエーションだけを反復するのではなく、引きずり込むアクションがもっとあってもよかったかもしれないと思った。二段構成はおもしろそうで、続編も見に行くだろうと思う。ペニーワイズは、アメリカへの植民の時期からいて、27年周期で現れるらしく、この設定に一番惹かれた。ペニーワイズとデリー市民の戦いの歴史を描いた年代記があったら読みたい。このあたりの設定を聞くかぎりでは、ペニーワイズは恐怖の象徴というよりもエイリアンかなにかのようだ。SCP財団はこいつを早く収容すべきだと思う。

ファイナル・デッドコースター

2018/04/12鑑賞

  • 監督:ジェームズ・ウォン
  • とある高校の卒業イベントが開かれている遊園地で、凄惨な事故を予知した少女はジェットコースターを降りて助かるが、残念ながら彼氏は助からなかったのでずいぶんと落ち込んでしまう。そして、少女のおかげで助かった生存者たちも、また例によって例のごとく死の運命からは逃れられず、次から次へと死んでしまうのだが、少女はその時使っていたデジタルカメラの写真に、これから起きることのヒントが隠されていることに気がつき、みなに警告しようとする。しかし、頭の軽い日焼けサロン通いのビッチ二人組や、唯物論的な考え方をするゴスカップルなどは、その警告を信じてくれない。
  • 主演のメアリー・エリザベス・ウィンステッドがまずかわいい。日本人ウケのする顔立ちだと思う。チアリーダーのコスプレとかしてほしいなと妄想したけど、『デス・プルーフ』に出演したときにチア姿だったことを思い出した。また制作費が格別上がったということもないだろうに、スタッフの腕がいいのか、シリーズで一番映像として安定している。とりわけ冒頭のジェットコースターの場面は、まったく無駄のない的確なリズムで的確なカットが並べられるのでおどろいた。カメラのフラッシュを繰り返してリズムを作り、またジェットコースターを降りようとするヒロインに抗議する黒人生徒が、暴れた拍子にゴス女を殴ってしまうところなどは、編集が小気味よかった。コースターに乗ろうとする場面では、数字の書かれた床がぐいーっと伸びる「めまいショット」もある。そして、みんなが記憶するだろう日焼けサロンのシーン。ともかく焼け死ぬというのがいいし、熱で鏡面が砕けた拍子に、そこに映っているビッチ女の顔も砕けるところなんかは最高で、二人が死んだあとサロンの機械がそのまま棺桶のカットに繋がるメタファーも面白くて退屈する暇がない。あれもこれも画面に意味ありげに映して観客を宙吊りにする演出は、やや控えめになったのか、あるいはこちらが慣れてしまったのか、前作ほど面白くは感じられなかった。なお、まったくそれ自体に意味のない細部だが、パソコンを見ているヒロインの顔とその妹の全身が同じくらいの大きさに見えるパンフォーカスのカットもインパクトがあった。

ファイナル・デッドサーキット 3D

2018/04/12鑑賞

  • 監督:デヴィッド・R・エリス
  • 例によって例のごとく、サーキット場で激しいクラッシュ事故を予知した少年が現れ、例によって例のごとく、それが現実となるので、例によって例のごとく、10名の男女が無事に生き延びるのだが、例によって例のごとく、死の運命からは逃れられずに、次々とありえない偶然が積み重なって死んでしまう。
  • このシリーズ最大のヒット作ということだけど、第2作『デッドコースター』のデヴィッド・R・エリスが再登板ということで、なんだかその第2作を思わせるような二次災害のすさまじい事故が起きまくる。この監督がやると事故の規模がひどくならないか? それにあわせてグロテスク度も増しているし、生理的な嫌悪感ということではプールの排水溝に内臓を吸われて死ぬという死に様がいやだ。これはパラニュークのいわくつきの短編「はらわた--聖ガット・フリー語る」を彷彿とさせるのだ。Box Officeによれば制作費は上がったはずだが(その割には上映時間が短くなっている)、それでも本作に登場する大規模な事故を再現するには至らなかったのか、CGの安っぽさが目につくし、そのせいか全体的に雑にみえる。この点は『デッドコースター』も変わらないのだが、パワーが落ちているし、正直こちらはもう殺人ピタゴラスイッチに飽きはじめているので、これといって進歩や新鮮さのない殺人ピタゴラスイッチを見せられても面白くもなんともない。なにか別のアプローチがほしい。出てくる役者にどれも魅力がないというのもいけない。3D映画として撮られた本作で、クライマックスの場面は3D映画、それも飛び出る爆発シーンの場面で、ファイナルデスティネーションだから本当に爆発が飛び出してくるという悪趣味なギャグをやっていた。なお、分かりにくいがシリーズ4作目。

マイティ・ソー バトルロイヤル

2018/04/12鑑賞

  • 監督:タイカ・ワイティティ
  • ラグナロクの預言を語る炎の巨人スルトを倒し、また前作で死んだはずのロキがなぜかオーディンになりすましてアスガルドを統治しているのでこれもしめたところで、ロキと一緒にオーディンを探しにいくと、ドクター・ストレンジのもとで再会するのだが、オーディンアスガルドへは帰らないという。死の間際にありがちなことだが、実はソーには死の女神ヘラという怖ろしい姉がいることが明かされると、オーディンが死んだその瞬間に長女ヘラがかえってきて、二人は一蹴されてしまう。ヘラにアスガルトを乗っ取られた代わりに、辺境の惑星サカールへと飛ばされたソーは、そこで統治者グランドマスターに闘士として売られてしまい、チャンピオンであるハルクと戦ったり、ロキに裏切られたりしながらもアスガルドへ帰還しヘラ打倒を目指すのだった。
  • 原題にはラグナロクとあるように、オーディンが死んだり、ムジョルニアがあっさり壊されたり、アスガルドの負の歴史が明かされたりと、かなり物悲しい展開がつめこまれているシリーズ第3作なのだが、それをぶち壊すかのようなギャグシーンがふんだんに挿入されていて、しかもそのギャグがNGシーンをカットし忘れたかのようなゆるいギャグなので、全体的に弛緩した雰囲気がただよっている。そのうえ、上映時間の大半は惑星サカールでの古く懐かしいスペースオペラ的なドタバタコメディなので、ラグナロク感はあまりない。この弛緩した雰囲気がとても好ましかった。わたしのお気に入りは、ブラックウィドウのまねをしてハルクをあやそうとするソーと、ハルクにボコボコにされたソーを見てガッツポーズを決めるロキである(『アベンジャーズ』でロキがハルクにやられたときとまったく同じなのだ)。また、冒頭でオーディンに化けてアスガルドを統治しているロキが、部下にやらせている演劇のくだらなさは印象深い。この微妙にすべってるギャグがゆるくていいのだと思う。そういった戦略でラグナロクの悲劇を横にズラしつつ、神話ではなく国家の話にすりかえている。国家の建国神話を破壊し、アスガルドの市民が国土を失った移民となるので、なんというか「移民の歌」がかかっているのだ。「国家とは土地ではなくそこで生きる人々なのだ」という理屈をオーディンが述べるのだが、現実世界をみるかぎり、それは実現の難しい理想なのかもしれない。

ミッドナイト・ミート・トレイン

2018/08/17鑑賞

  • 監督:北村龍平
  • タブロイド紙に写真を売るレオン。その恋人のマヤは、画商のジャーギスを通してやり手の女性画商スーザン・ホフと会うことになったと言い、2人は警察無線の盗聴や特ダネ写真とおさらばできると喜ぶのだが、レオンの写真はスーザンにお眼鏡には叶わなかった。より決定的瞬間を求めて夜のNYを徘徊するレオンは、ついに悪漢に襲われる女性の写真を撮ることができたのだが、助けたはずの女性が行方不明になったことを新聞記事で知る。写真を現像していたレオンは、その日電車に乗っていた指輪をした男が、別の写真に映っていることに気がつく。
  • 主人公が助けた女性が電車に駆け込むと、ドアを掴む手のアップが飛び込むように入ってくる。閉じるスライド式ドアではないが、編集によって、閉じるスライド式ドアのような有無を言わせぬ死のメタファーになっている。スライド式ドアはSF映画における未来の表象だが、同時に『悪魔のいけにえ』で示されたように死のメタファーでもあるのだ。また、ハンマーで叩かれて血が出るだけではなく、首が回転する、ガラスに叩きつけられてひび割れる、といった差をつけることができている。鏡もいたるところで出てくる。吊るした肉の間で追いかけっこをするのは誰もが思いつくだろうが、それを電車の中でもやる、しかも一人身内が吊るされていて事あるごとに付帯的被害を負うというのは笑えた。フラッシュバックの多いMTV的スタイルは同時代から距離を取れていないと感じ、今見ると平凡さに映った。それと、走る電車の内外をグルグルと回る『宇宙戦争』的長回しはカメラの制約が残っていて面白いけど、目玉が飛び出たりするのは作家のイメージしかない(ロマン主義的)のでいまいち。