呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

ケイコ 目を澄ませて

2022/12/26鑑賞

  • 監督:三宅唱
  • 音から入ってくる映画で、映画館で見ることを前提にした映画を久々に見たような気がする。
  • LOFT ロフト』を思わせるような、冒頭の鏡に顔を映したショット。そして『ボクシング・ジム』を思わせる導入部。
  • ケイコ(岸井ゆきの)のボクシングの試合中に、その母親が客席から写真を撮っているのだが、暴力沙汰が苦手で、娘が打たれるところを正視できないためブレブレの写真が出来上がってしまう。
  • その写真(静止画)が一定の速度でモンタージュされる場面がある。岸井ゆきのがカメラを手に取り、それを母親が撮ったのだとわかった上で写真を見るのだ。
  • 手ブレが激しく、まともなショットは一つもないそのモンタージュに母娘の微妙な関係が刻印されている。(またその失敗した写真が、その他は見事なショットばかりで構成されたフィルム映画に挿入されることでかえってどこか美的に感じられてくる)
  • こういう台詞があったら興醒めだよな、というところに勿論のこと説明的な台詞が入らない。そのため、説明しないことによるサスペンスが生じる場面もある。
  • 岸井ゆきのが家に帰ると、そこにはギターを演奏する男と女がいる。男はどうやら同居人のようだが、関係は明らかではない。女性はすぐに立ち去り、岸井が男から家賃を請求するところで初めて、この二人が男女の関係ではなく、今の女性が浮気相手だというわけではないとわかる。(ほどなく、この男は岸井の弟だとわかる)
  • 耳が聞こえないので、彼女にどのようなコミュニケーションを取るか描写するだけで彼女との関係が浮き彫りになるのは便利だなと思った。
  • 館長とケイコが鏡の前でシャドーボクシングをする場面のように、仲間と同調行動を取ることによって「一緒にいること」や「絆」を画面に定着させている。その一方で、ボクシングを休むことを考えて館長に渡すつもりだった手紙は悩みぬいた上で、誰にも共有されず握りつぶされる。
  • そんな、ある時は繋がり、ある時は繋がらない人生の在り方が塩梅としてよかった。