呉衣の映画トンネル

映画の感想(ネタバレ有)を置きます

恐怖の土曜日

2017/4/6鑑賞

  • 監督:リチャード・フライシャー
  • とても視覚的な映画で素晴らしかった。
  • フランス版ではフリードキンがこの映画について語っているらしい。今回はポニーキャニオンから販売されたブルーレイで見たのだが、ものすごく解像度が高くてディティールがくっきりと見える画質で驚いた。パンフォーカスの映画なので、細部まで明るくくっきりと鮮やかな画質で見れることが快楽につながってくるのだが、オリジナルと同じものなんだろうかという不安がないわけではない。『恐怖分子』をVHSで見てその粗い粒子の映像に感動したことがあるのだが、そのあとに出たリマスター版を見て、そのあまりにクリアな画質に、本当に同じ映画とは思えなかった経験があるからだ。そういえば、この前に出た『ミツバチのささやき』も記憶と全然違ってクリアなので違和感がありまくりだった。
  • とはいえ、本作はパンフォーカスの映画。解像度が高くて文句はない。ヒッチコック泥棒成金』をブルーレイで見たときの贅沢なパンフォーカスを思い出すような鑑賞体験だった。
  • あらすじとしては、地方のスモールタウンで様々な人間模様が繰り広げられるなか、よそ者による銀行強盗の計画が着々と進められている……という趣向になっていて、先述したパンフォーカスが随所に見られるのもこの筋立てがあってこそだと思う。小さな町の人間関係を描くわけだから、当然みんな大体のところ知り合いなわけで、背景で動いている人間にも意識がいくようになっている。
  • 例えば、酒浸りの御曹司がバーで絡むシーンでは、背景に映されているバーの入口に次々と登場人物がやってくる。窃視癖のある銀行の支配人がやってきたかと思えば、そのあとに白衣の天使ヴァージニア・リースが来店するので、支配人はつい目で追ってしまう。それを見た御曹司が「あんたの正体はまぬけな女好きだ」とからかったあと、当人はヴァージニア・リースのところにまで近づいて話しはじめる。それを支配人は見ることしかできないでいる。そして、そのすぐそばを、銀行強盗をたくらむ悪党がうろうろしているので観客は気が抜けない。
  • この映画は、背景につい目がいくようになっている。冒頭からして、遠景に旗を持つ鉱山の職員がたびたび映り、その小さな旗に目がいくようになっている。銀行の支配人は、フレームにヴァージニア・リースが見えたら必ずそれを目で追うわけだし、覗きもはたらく。銀行強盗の場面では、手前で拳銃を手に取ろうとした支配人を、奥にいたリー・マーヴィンが振り向きざまに撃つ。
  • この空間造形がとても面白いと思う。手前が重要で、背景はどうでもいい、という映画の99%の画面とは異なり、手前よりも背景が重要だったり、あるいは手前と背景という構図さえカメラの移動によって無効化してしまう。それによって、ひとつの画面に複数の出来事を起こすことができる。ひとつのフレームのなかでAという出来事と、Bという出来事が起こっていて、それぞれお互いには気がついていない。それをただ観客だけが同時に把握することができる、ということの面白さだ。広い意味ではサスペンスなんだろうけど、この映画の場合、それらがすれ違ってしまうことに重きが置かれているように思えてならない。
  • 『見えない恐怖』という映画でフライシャーは、殺戮によって死体だらけになった家のなかを、盲人という設定のミア・ファローに歩かせていたけど、これは似た感覚だと思う。ミア・ファローはそこでこれまで通りの生活をするんだけど、観客には死体がどうしても目に入るから、日常生活の動きから情感が根こそぎ奪われていく。この倒錯的な感覚が、『恐怖の土曜日』においては、ふつうのメロドラマの真横で着々と進みつつある銀行強盗の計画……ということになるんだろう。
  • ここにはリチャード・フライシャーの世界観というか、世界に対する固有のリアリティが覗いているような気もする。(『絞殺魔』において、まったく空振りに終わる捜査の数々を思い出す)。
  • あるいは、視点の広がり方にすごみを覚えるところもある。
  • 決行前夜に寝られない悪党どもがふと窓を見ると怪しい人影がいる。そいつはただ犬を散歩させているだけの支配人なんだけど、そのあと支配人のほうにカメラの視点が移ると、今度はそいつがヴァージニア・リースの窓を覗く場面に移っていく。 あるいは、銀行強盗決行日に、その周囲に待ちかまえる悪党たちの位置関係がみるみる明らかになっていく一連のカットも、空間がまさに生成されていく快楽があった。
  • メロドラマを演出させてもいい感じで、御曹司とヴァージニア・リースがバーで踊る場面では、お似合いのカップルであることを示すかのように、積み重なったグラスを額縁に見立てて幸せそうな二人を囲んでしまう。純粋に視覚的な美学が祝福を意味している。このカップルはハスキーボイスも似通っていていい感じ。
  • また、その御曹司が、倦怠期にあった妻と寄りを戻す場面では、開け放たれたドアの向こう側にある螺旋階段にカメラが近づいていき、その柱を格子にみたてて、おもいっきりメロドラマを展開するのだが……そのあと役目は終わったとばかりにカメラは後退移動していく。
  • また、ブラインドを上げたり下ろしたりすることが反復されていき、細部だけでなく説話にも食い込んでいく。銀行のブラインドを開けてオープニングらしい演出を飾り、あるいはブラインドを下ろさないからヴァージニア・リースは覗きの被害を受ける。そして、銀行強盗はブラインドを下ろして行われているので、途中から入口に群がってドンドンと扉を叩く音がする、そこでリー・マーヴィンが思い切りブラインドを上げると、群がっていた市民は散り散りに逃げてしまって、悪党三人組が銀行からの逃走を図るのだ。最後、病室で目覚めた支配人は覗き行為のことをヴァージニア・リースに告白して懺悔するのだが、それを聞いた彼女は「今度からブラインドを下げるわ」と返答する。粋な落とし方だなあと思った。
  • 悪党たちが銀行に入って、まさに強盗をはたらこうとする場面では、彼らが配置につくまさにその瞬間に、構図としても三人がぴったりと三角形をつくる美しいレイアウトに収まっていくので二重に興奮させられた。物語的なピークと、美学的なピークを一致させるという演出!
  • 終盤、アーミッシュの農家で繰り広げられる銃撃戦は、見られる=撃たれるという鉄則が守られており、攻防によってどんどんと空間が作られていく感覚に満ちていた。あのトラックの下にヴィクター・マチュアが身体をねじこんでいくところ、本当に狭そうでスリリングだ。
  • 物語としてはさして語るところのない映画だが、このように突出して視覚的なものにこだわっているので、なんとも異様な仕上がりになっている。

  • 以上、本体ブログからの借用。

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